いじめ自殺を防ぐ
いじめ、そしていじめ自殺を防ぐために我々ができることは・・・
いじめ自殺があいついで起きています。
大切な子供たちをこれ以上死なせてはいけません。
精神科医樺沢紫苑が、「いじめ自殺」について、真剣に考えます。
私たち一人一人ができる、そして今からできる方法があります。
会問題化した「いじめ自殺」事件について、それぞれの概要について説明します
床には遺書が置いてあり、その内容で「いじめ」が原 因で自殺したことが判明した。 鹿川君は2年生に進級した昨年の4月頃から同学年のツッパリグループに「使いパリシ(走 り)」と呼ばれる、いじめの対象となった。グループから菓子やジュースを買って来いと強 要されたり、学校の校庭で大声で歌を歌わせたり、顔にペンでヒゲを描かれたり「いじめは エスカレート」していった。鹿川は、このようないじめを受けても笑っていたためグループ や同級生達も鹿川君が悩んでいたことには気付いていなかった。
11月14日グループは「鹿川君の葬式」を思いつく。鹿川君の机を黒板の前に運び、机 には鹿川君の写真、牛乳瓶に水を入れて花をいけてミカンに線香を突き刺しライターで火を 点けた。さらに、このグループは色紙に「さようなら鹿川君」とフェルトペンで書き、同級 生らに名前やメッセージを書くことを強要した。更に、F教諭(57歳)ら数人の教諭にも グループから名前を書いて欲しいといわれて色紙に名前を記載した。親しい級友に「僕はあ の日に死んだんだ」と寂しそうにもらしたと言う。鹿川君の忍耐は限界に来ていた。
2月1日鹿川君はいつもどおり家を出た。が、向かった先は岩手県盛岡だった。 下記は鹿川裕史の遺書だ。
家の人、そして友達へ
突然姿を消して申し訳ありません。
くわしいことについては○○とか○○とかに聞けばわかると思う
俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になっちゃたんじゃ意味がないじゃないか
だから、君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。
昭和六一年二月一日 鹿川裕史
同86年3月東京都教育委員会は担任教諭を諭旨免職のほか6人を処分。4月警視庁と中
野署は16人の生徒を書類送検し、9月グループのリーダ格2人を保護観察処分とした。
1994年(平成6年)11月27日、愛知県西尾市立東部中学校2年の大河内清輝君が、自宅裏の柿の木で首を吊って死んでいるのを母親に発見された。葬儀後、自室に「いじめられてお金をとられた」という内容の遺書が残されていた。
それに先立つ1994年7〜9月期、いじめによる自殺をテーマとしたドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」がTBS系列で放映されていた。これが自殺の引き金となったかどうかは明らかでないが、このドラマの影響もあって本事件はマスコミの耳目を惹き付けた。自殺をセンセーショナルに扱うことで、「自殺は社会的なメッセージ性を持ちうる。
社会的な影響力を持つ」と言う誤ったメッセージもマスコミは発信することとなり、いじめに苦しむ多くの中高生が自殺に走った。
2005年、滝川市立江部乙小学校でいじめられていた小学6年生の女児が自殺した事件である。
女児は1学期の席替えの際に多数の児童に性的魅力がないと中傷される類のいじめを受けていた。2005年9月9日にその女児は首吊り自殺を計り、2006年1月に死亡した。遺書もあった。
だが、2005年11月に市教育委員会は聞き取り調査を行い、イジメは無いと結論し隠蔽した。2006年9月に遺族は新聞社に遺書を公開した。2006年10月5日に遺族に謝罪したもののマスコミに遺書は遺書ではなく「手紙」であると捻じ曲がった回答をした。
その後、2006年10月14日に教育長が辞職、市教委は12月5日に調査報告をまとめ、同月9日調査報告書の市民説明会を開いた。
長野県丸子実業高等学校に通っていた当時1年生の男子生徒(以下文中では「A」と表記)が2005年12月6日、所属していたバレーボール部でのいじめを苦にして自殺した事件。
Aは中学2年の頃から声帯に異常をきたし、声がかすれ気味で大きな声が出せない状況だった。Aはクラブの応援練習で大きな声を出せないことや、授業で指名されたときに教科書を音読できないことなどを気にかけていた。
Aは2005年に丸子実業高校に入学し、バレーボール部に入部。バレーボール部の上級生がAの声まねをしたり、上級生からハンガーで殴られたりなど、部内でいじめられるようになった。そのことが原因でAは不登校気味になり、また病院でうつ病と診断された。
いじめ問題について、Aの母親と学校・長野県教育委員会が話し合いを続けていた。その過程でAは「バレーボール部の上級生からいじめられている」とした手紙を、学校と長野県教育委員会に提出した。しかし話し合いは平行線をたどった。Aの家族の支援者によると、話し合いの際にバレーボール部顧問は「ふざけるなバカヤロー」などとAの母親に対して大声で怒鳴ったとされている。またAは2005年10月10日には、上級生からハンガーで殴られた暴力事件について警察に被害届を出した。
Aの出席日数不足を理由に「このままでは進級できない」という状況も考えられるようになり、学校側がその旨を通知した直後、Aは自殺した。Aは、バレーボール部の上級生からいじめられたことを苦にしたメモを残していた。
学校側は「いじめと認識していない」という立場をとっている。またバレーボール部の保護者会は自殺事件直後の2005年12月8日に記者会見を開き、「いじめられた側がそう思うのであれば認めなければならない」とは発言したものの、全体としてはAへのいじめはなかったという主張をおこなった。バレーボール部関係者らは「Aの母親が、暴言の電話やファックスなどで自分たちを中傷した」と主張している。
2006年の正月には、遺族宅に匿名で、Aの母親を中傷する「彼はやっと(自殺して)救われた、大げさに騒ぐのはやめなさい」(原文抜粋)などの文言を記載した年賀状が遺族に届いた。また「Aが母親の財布からお金を取った」などとする事実無根のデマが流れた。また「母親のせいで子どもが自殺した」とする噂も流れた。
また、遺族宅にはいじめ加害者の応援関係者から「ぶっ殺してやる!」という脅迫電話が連日来ていたという。結果提訴が遅れる事態となった。
2006年11月、神林村立平林中学校においてズボンを脱がされた少年がその後自殺した事件である。
同校では、ふざけてズボンを下げる遊びが流行っていた。2006年(平成18年)11月14日には、同級生にズボンと下着を女子生徒がいる目の前で脱がされるといういじめの被害を受けていた少年がいた。男子生徒はズボンを下ろされた際、泣きながら同級生に「消えろ」と呟いていた。
担任教諭が沈んでいる理由を尋ねても、「魚が釣れないから」などとはぐらかし「大丈夫」と答えた。同級生は放課後、「僕がやりました」と名乗り出て謝った。一緒に下校した友人3人には別れ際「死にたい」と漏らしていた。午後9時半ごろ、夕食後行方不明となっていた同校に通う中学2年生の男子生徒が自殺しているのが発見された。遺書はなかった。
学校側は15日午前に男子生徒の自宅を訪れたが、ズボンを下ろされたことについては遺族に説明を行わなった。校長は15日未明に記者会見し、そういった事情があった事を明かす。ただ、同時に「ズボンを下ろされたことを断定的にいじめと結論付けるのは控えたい」とも話す。同校教頭は会見の中で「自殺した生徒は何度もいじめの被害を受けていた」ことは明らかにした。
上越市頸城区では11月16日、市立中学校教頭を中心に「緊急いじめ防止危機管理研修会」(県教委、同市教委主催)が開かれた。教頭に感想や対応策を質問したが、会場は無言のままであった。現実の問題を前にしては、いじめ防止プログラムでは対処が困難である現状を表した。16日には泉田裕彦知事も定例記者会見で、いじめについて「何をやってるんだ」という感想を述べた。
12月28日に自殺の原因などを調べる有識者の調査委員会は初会合を開いた。会長は閉会後「現段階では、いじめによる自殺という判断はできないと感じた」と語る。報道陣に「生徒への集中的な嫌がらせなどがあったという資料は出ていない」と話す。
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